疲労とヘルペスウイルス 東洋医学研究所®グループ 井島鍼灸院 院長 井島 晴彦
はじめに
前回までの私のコラムでは、8回にわたり経穴についてご紹介させて頂きました。
8回で区切りがつきましたので、今後は、(公社)生体制御学会生体防御免疫疾患班の班長をさせて頂いている関係で、免疫に関する話題を紹介させて頂きたいと思います。
今回は、「疲れをためると大きな病気を引き起こす」と言われますが、このことの裏側には体内に潜伏しているヒトヘルペスウイルス6(HHV-6)の動きの変化が関係している可能性があるという東京慈恵会医科大学の近藤一博教授のお話しを紹介させて頂きます。
ヒトヘルペスウイルス(HHV)と疾患
今日の話には、HHV-6 などのヘルペスウイルスを利用して、疲労の度合いを測定できる様になるというお話と、「疲れをためると大きな病気を引き起こす」という良く知られた事実の裏側に、HHV-6 などのヘルペスウイルスの活動があるかもしれないというお話しをさせて頂きます。
ウイルスというのは非常に多様な生物で、生活の仕方も極めて変化に富んでいます。しかし、どのウイルスも他の生物に寄生しなければ生きては行けないという点は共通しています。ウイルスが寄生する先の生物は、「宿主(しゅくしゅ)」と呼ばれています。ウイルスは非常に多様な生物であると言いましたが、その生き方を強引に2つに大別することができます。
ひとつは、宿主の体で急速に増殖して、できるだけ多くの宿主に拡散して生存しようとするタイプのウイルスです。例えば、はしかやおたふく風邪のウイルスがこの例に当たり、割と重い病気を起こすものが多く見られます。
もう一つは、宿主の体内に長く住み付く事によって自分自身の生存を有利にしようとするウイルスです。この場合は、宿主が死んでしまっては自分が生存できませんから、あまり重い病気を起こさないウイルスが多いのです。またこの時、ウイルスが自分の遺伝子だけを宿主の体内で維持する場合を、潜伏感染を呼びます。
単純ヘルペスウイルスの再活性化
この潜伏感染を生じるウイルスの代表的なものがヘルペスウイルス科のウイルスです。
ヒトを宿主とするヘルペスウイルスは、現在までに8種類が知られています。ヘルペスウイルスの代表的なものとしては、唇に水泡を作る単純ヘルペス1型があげられます。実はヘルペスウイルスというのはこの唇にできる水泡の名前がヘルペスと呼ばれるところから命名されたものです。また、水疱瘡と帯状疱疹を引き起こす水痘帯状疱疹ウイルスもヘルペスウイルスの仲間です。
潜伏感染しているウイルスは、宿主の体内に潜んでいるため、宿主が死んでしまうとウイルス自身も失われてしまいます。これを防ぐためには、ウイルスは宿主が死ぬ前に脱出して、元気な宿主に感染すれば良い訳です。この様な脱出をウイルスの再活性化と呼びます。その様子は、まるで船底に潜んでいたネズミが、船に危険が迫っているのを、いち早く察して逃げ出す様にもたとえられます。
実は、潜伏感染を生じるウイルスはヘルペスウイルス以外にもあるのですが、自力で再活性化をすることができるウイルスはヘルペスウイルスだけなのです。
ヒトヘルペスウイルス(HHV)の病像
ヘルペスウイルスの一種であるHHV-6 は、小児期、それも1歳半までにほとんどのヒトに感染して、突発性発疹を起こします。その後一生涯、免疫機能に重要な働きをするマクロファージと脳内のグリア細胞において潜伏感染を生じます。このため、後でも述べますが、HHV-6 の潜伏感染の動きは免疫や脳の働きといった、ヒトにとって重要な機能と深く関わっていると考えられます。例えば、熱を出したときにしばしば引きつけを起こす子供では、HHV-6 の脳内での再活性化が痙攣に関わっていることが判っています。
ヘルペスウイルスが再活性化を起こす頻度とその引き金は、ウイルスごとで異なります。ただ、ヘルペスウイルス科のウイルスの再活性化と、ストレスや疲労が関係することは、経験的に古くから知られています。例えば皆さんの周りにも、ひどく疲れると唇にヘルペスが出る人がおられると思います。このようにヘルペスが出る人の中には、ヘルペスが出ることを自分の疲労の度合いのバロメーターにしておられる方もおられます。
ストレス疲労と HHV 潜伏感染
実は、「疲労」の度合いを客観的に知ることは、とても大事なことなのです。例えば、過度の疲労の蓄積によって生じる過労死では、過労死した方の半数以上は、自分が疲労していることを自覚していないと言われています。このため、疲労を客観的に測定してモニターできれば、過労死の予防に大いに役立ちます。ところが、疲労の客観的な測定は非常に難しく、今のところ標準となる方法はありません。このため、ヘルペスウイルスの再活性化が疲労の測定に使えれば、非常に役に立つ検査になります。ところが、唇の口唇ヘルペスの出現は個人差が大きく、ヘルペスが出る人も少ないので、誰もが使える方法ではありません。
最近我々は、仕事のストレスによる疲労がHHV-6 の再活性化を誘導することを見出しました。HHV-6 は赤ちゃんの時に全員が感染し、すべての人が体内に潜伏感染したHHV-6を持っています。その上、再活性化したHHV-6 は、唾液中に放出されるので検査が簡単にできます。
我々は、再活性化したウイルスが唾液中に放出される各種のヘルペスウイルスについて、ゴールデンウィークの連休の前の仕事が忙しい時期と、連休で1週間休んだ後でのウイルス量の変化を観察しました。この結果、HHV-6 の再活性化が仕事によってたまった疲労によって誘導され、しかも個人差が小さいことを見出しました。連休後は、HHV-6 の唾液中への放出は、放出する人数も放出されるウイルスの量も減少していました。
さらに、連休後もウイルスを放出している人は、連休中に体を休めていないことも明らかになり、この方法の客観性が高いことも分かりました。
おわりに
今回の近藤一博教授のお話しのように、疲れやストレスをためると病気を引き起こすことは、治療院に来院される患者さんの話をお聞きすると強く感じます。その理由の一つが潜伏しているウイルスの動きの変化が関係している可能性があることが分かりました。
このことから、東洋医学研究所®所長の黒野保三先生が常々言われているように、疲れやストレスをためない生活習慣を身に付けることの重要性が再認識できました。
さらに、疲労を測定できるようになれば、鍼治療によって生体内に有する各種調整機構を正常にリセットし、疾病予防・疾病改善をしていくことの一つの証拠を提示できる可能性を感じました。
今後も、今回のような免役に関係する話題についてご紹介してゆきたいと思います。
引用・参考文献
・近藤一博「疲労とHHV-6」アボット感染症アワー 2011年11月18日
http://medical.radionikkei.jp/medical/abbott/final/pdf/051118.pdf
・近藤一博「ヘルペスウイルス感染と疲労」ウイルス第55 巻 第1号,
p.9-18,2005.