睡眠について 東洋医学研究所®グループ  栄鍼灸院 院長 石神龍代 平成28年3月1日号

はじめに
人はその生涯の約3分の1は眠って過ごします。睡眠が人の脳の働きや身体的な健康に関して果たしている役割は非常に大きいので、いかに健常な睡眠を維持していくかということは、超高齢社会における日本人の健康寿命を延すために大きな問題であります。
今回は謎多き睡眠について最近の情報をご紹介させていただきます。

睡眠とは
睡眠は脳の休息という単なる一時的な脳神経活動停止の時間ではなく、身体機能の回復や記憶の固定などの大脳情報処理といった高度の生理機能に支えられた適応行動であり、健全な身体機能を維持するためにきわめて重要であります。
最近の睡眠医学の進歩によって睡眠のメカニズムの理解も大きく進んでいます。睡眠には規則的なリズムがあり、毎日ほぼ同じ時刻に眠り、同じ時間に目覚めます。睡眠中はレム睡眠と大脳を休めるノンレム睡眠とが約90分周期で変動し、覚醒に向けて準備を整えています。このような規則正しい睡眠リズムは疲労による睡眠欲求と体内時計による覚醒力のバランスで形成されています。また、健全な睡眠を維持するために、睡眠中は自律神経系やホルモン(メラトニンやコルチゾール)など、さまざまな生体機能が総動員されています。

レム睡眠とノンレム睡眠(non rapid eye movement sleep)
 睡眠の中の脳波の状態に対応して分類されるのが「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」です。1953年、クライトマンというアメリカ人とジュヴェというフランス人が、「rapid eye movement sleep」、頭文字をとってレム(REM)睡眠を発見しました。赤ん坊は寝ているとき、ぐっすり寝ていても眼が動きます。大人はあまり目が動かないので、いったいどこが違うのかということで、脳波をとってみると、図1のように違いがわかりました。レム睡眠では眼がよく動くし、脳波は覚醒時とよく似ています。

図1.覚醒/レム睡眠・ノンレム睡眠の脳波の違い

それでは、ノンレム睡眠とレム睡眠は、どちらが本当の睡眠なのでしょうか。レム睡眠はなぜ必要なのでしょうか。
近年まで、レム睡眠時は夢を盛んに見ることから、記憶の整理に関わっているとされてきましたが、最近の研究によって、記憶の固定や整理にはノンレム睡眠が大きく関わっていることがわかってきました。レム睡眠の機能はますます謎めいたものになっています。
私たちが眠りに就くと、はじめにノンレム睡眠の状態に入ります。ノンレム睡眠はその深さによってステージ1~4までに分かれており、睡眠の経過とともに深いステージに入っていきます。ノンレム睡眠では脳の活動が低下しており、自律神経系は副交感神経優位となります。この時、脳波は振り幅が大きく、遅くなります。ノンレム睡眠は60~90分ほど続き、それからレム睡眠が訪れます。レム睡眠中は脳が活発に働いており、自律神経は変動が覚醒時のように大きくなり、代謝も覚醒時と同じくらい高まっています。大脳皮質が活発に活動していますので、脳波の振り幅は小さく、早くなります(図1)。

良質な睡眠とは
 健康な人の睡眠は、浅いノンレム睡眠(ステージ1)から次第に深いノンレム睡眠(ステージ4)へと移行してゆき、急速に浅くなった後レム睡眠が訪れ、しばらくして再度、浅いノンレム睡眠に戻ります。こうしたノンレム睡眠とレム睡眠のサイクルを睡眠単位と呼び、この単位を一晩に4~5回繰り返してから覚醒します。 
良質な睡眠とは、睡眠単位が図2の睡眠経過のように、特に最初の睡眠サイクルでとても深い徐波睡眠が出て、サイクルが進むにつれだんだん浅くなっていくという「正しい構築」、つまり、理想的な形になっていることを言います。
ただし、図2のような形になるのは若い人の睡眠で、50代以降、加齢が進むにつれて、ステージ3~4の深いノンレム睡眠は2回目にはほとんど現れなくなっていきます。

図2.健康な成人の睡眠経過

 
脳は通常、その人に必要な睡眠を作り出すようにつくられていますから、「良質な睡眠」というものにあまりこだわる必要はありません。睡眠という生理学的過程は、睡眠をとることそのものが目的ではなく、きちんと覚醒を得ることが目的なのです。体感的には、翌日の覚醒がきちんと保たれて能率のいい作業ができる状態にあれば、その前の晩には良質な睡眠がとれたと言ってもよいと思います。睡眠要求量は年をとるほど低くなっていきますので、年をとるごとに眠らなくてもいい身体になっているのですから、無理に寝なくてもいいのです。60歳を過ぎたら5時間睡眠でも十分とも言われます。睡眠を評価するより、日中の生活の質を評価すべきでしょう。

睡眠と覚醒のメカニズム
人間は疲れたら眠るわけですが、これは脳が活動していると、脳細胞や脊髄液の中に睡眠誘発物質(アデノシン受容体)が増えてきて、それが睡眠中枢に働きかけることで眠くなるというメカニズムです。
眠気を覚ましたいときによくコーヒーを飲みますが、これはカフェインがアデノシン受容体をブロックするので目が覚めるのです。疲れたら眠るという本来の人間の生理的な現象をカフェインなどで無理やりブロックしてしまうので、本当はコーヒーを飲まない方がその後よく眠れますし、15分でも仮眠をとった方がはるかにスッキリします。当たり前のメカニズムなのですが、間違ったことをしている人が多いということです。
睡眠と覚醒のメカニズムを理解するうえで、睡眠中枢と体内時計の2つの考え方があります。睡眠と覚醒がシーソー(交代現象)でせめぎ合っているというのが今一般によく言われている理論です。
1998年に発見されたオレキシン(ドーパミンと同じ脳内に信号を伝える神経伝達物質)が睡眠に深く関わっていることがわかってきました。
(オレキシンをつくる神経細胞は視床下部の本能的なことを担う重要な部位とされているので、食欲とか体重を制御する、調節する物質と思われていましたが、オレキシンをつくれないマウスが非常に重大な睡眠覚醒の障害を持っているということがわかり、オレキシンが非常に重要な脳内での睡眠覚醒の調節を担っている物質であることがわかったのです。)
脳には覚醒を司る覚醒中枢と睡眠を司る睡眠中枢があります。オレキシンの分泌が高まり、覚醒中枢が活性化すると、覚醒物質が脳全体に広がり覚醒状態がつくられます。一方、オレキシンの分泌が足りないと覚醒中枢の働きが抑えられ、睡眠中枢の働きが強まります。これにより眠りが誘導されるのです。
オレキシンは脳内の覚醒系の神経細胞群を最終的に束ねていて、オレキシンの分泌が多いと覚醒、少ないと睡眠。このシーソーの傾きを決める大本の物質がオレキシンだったのです。オレキシンという物質によって目覚めたり眠ったりのスイッチが入っていたのです。

※不眠症は、本来は睡眠をとるべきなのに、過剰のオレキシンによって脳が覚醒モードで固定されている状態といえます。
感情を司る大脳辺縁系とオレキシンは密接な関係があって、恐怖や幸福感などの顕著な情動があるとオレキシン系が駆動されて、脳が覚醒モードで固定されます。不眠症のメカニズムを、オレキシンとの関わりで説明しますと、患者の脳内では何らかの不安や恐怖などの強い情動が睡眠をとるべきときにもずっと発動していて、その結果として覚醒が固定されてしまっているので眠れないということになります。こうしたことが繰り返し起こっていくと、「眠れない」ことそのものが恐怖の対象になっていきます。端的にいって不眠症とは「眠れない」ことに対する恐怖症なのです。眠れないことへの恐怖が情動記憶として刻み込まれて、睡眠に関するあらゆるものが恐怖やこだわりの対象になってしまうのです。
不眠症治療の薬物療法については、現在使われているベンゾジアゼピン系あるいはZ系(非ベンゾジアゼピン系)の睡眠導入剤はGABA-Aという受容体に作用してGABAの働きを促進させることで、覚醒系のニューロンの働きを含めた脳内のほぼ全てのニューロンを抑制して、睡眠モードに持ち込むという仕組みになっています。大脳辺縁系を含む脳の機能全体を低下させるわけですから、情動を司る機能の働きも抑制されて結果的に抗不安作用も得ることもできます。その代わり運動や認知といった機能も全部落ちてしまうことになるのがデメリットです。
2014年、オレキシンの作用を阻害するオレキシン受容体拮抗薬スポレキサント(商品名ベルソムラ)が発売されました。これはオレキシンの働きだけを弱めるので従来の薬剤にみられる認知や運動の機能低下といった副作用のリスクを低減しながら睡眠を促す効果が期待できます。ベンゾジアゼピン系と違って強制的に脳機能を抑える作用はなく、自然な眠りを促すという働き方をしますので、主観的には睡眠効果は弱く感じる場合がありますが、客観的にはベンゾジアゼピン系の薬物に匹敵する効果が得られるとされています。

おわりに
質の良い睡眠をとることは、私たちの体と心を健康に保つ鍵であります。質の良い睡眠をとるには、定期的な運動や規則正しい食生活が大切で、特に朝食は体と心の目覚めに大切です。必要な睡眠時間は人それぞれで、加齢で徐々に短縮していきます。日中に眠気で困らない程度の自然な睡眠が一番です。
鍼治療が質の良い睡眠をもたらすことによって、種々の症状を改善させることは臨床の現場でよく経験されています。
現在、黒野保三先生を中心に東洋医学研究所®・東洋医学研究所®グループにおいて、臨床で得られている睡眠に対する鍼治療の効果を、健康チェック表、OSA睡眠調査票MA版、心拍変動解析を用いて、実証医学的に証明する研究が進められています。
  
参考・引用資料
・『睡眠障害と最新の睡眠医学』日本医師会雑誌143(12).2014.
・『眠りで悩む人こそ、睡眠へのこだわりを捨てよう』医道の日本74(7).
・櫻井 武『睡眠の科学 なぜ眠るのか なぜ目覚めるのか』講談社ブルーバックス.2015.
・サイエンスZERO『眠りのミステリー 睡眠研究最前線』NHK 2015年10月11日放送.
・内山 真『睡眠のはなし』中央公論新社刊.2014.
・Yasuzou Kurono,et al.Acupuncture to Danzhong but not to Zhongting increases
the cardiac vagal component of heart rate variability.Auton. Neurosci.161,2011;116‐20.
・石神龍代、黒野保三、皆川宗徳、山田篤、各務壽紀、早野順一郎:黒野式全身調整基本穴への鍼治療(筋膜上圧刺激)による睡眠の質の改善効果―OSA睡眠調査票MA版を用いた自覚的な睡眠の質の効果―.全日鍼灸会誌.66(1).2016 ;24-32