触覚について 東洋医学研究所®グループ  二葉鍼灸療院 院長 角田 洋平 令和2年9月1日号

はじめに
今年の春、新型コロナウイルスの蔓延により世界的な行動制限が敷かれる緊急事態となりました。コロナウイルスの影響で外に出掛ける機会もめっきり減ったものと思います。
外出の機会が減ったことにより、例えば買い物や旅行などで何か真新しい、外部のモノに触れるという機会も同時に失いました。インターネットは便利で、そんな中でも観光地や欲しい洋服などの写真を見ることはできますが、何か物足りなさを感じるのは実体を伴わないからです。通販で良いなと思って買ったものが、届いてみたらイマイチだったということはよくある話で、「錯覚」という言葉があるように視覚は騙されることの多い感覚です。それに対し触覚は、触れたモノがそこに実在することを確信させてくれる感覚で、触れる事で安心を得ることが出来ます。「肌に合う」とか「肌で感じる」とはよく言ったものだと思います。
しかし世の中は、コロナ以前からなるべく触れない方向に突き進んでいました。私達が日常で触れるモノの多くは、ツルツルスベスベした工業製品ばかりです。それに、「危険だから」「汚いから」という理由で、母親は子供が好奇心でいじろうとする手をさえぎります。また、各種ハラスメントの認識が一般的となり、触覚に関しての寛容さがどんどん失われてスキンシップも減り、人間関係は昔に比べてはるかに緊張感が増してきているように思えます。
そこに拍車をかけるように今回の大規模感染が起きて、皮肉にも殆どの接触が遮断されました。そんなこともあってか、外出自粛中にネットショッピングで購入した新しいものに触れたり、園芸などの土いじりに多くの人が精を出したのは、三密を避けてきた我々の触覚に対する飢餓感からの行動なのではと思ってしまいます。

自己防衛から社会生活へ
では、触れるということは我々にどんな感情をもたらすのでしょうか?
まず体表の皮膚は、体の広範囲で外界のモノに触れて確認や防御の役割を果たしています。体外と体内を隔てる境界といえる膜で、体温が上がりすぎれば感知して汗をかくし、下がりすぎれば鳥肌を立てて熱の放散を防いでくれます。こういった防御機能や感覚機能の他に、進化の中でもう一つ目的が出来ました。それが"スキンシップ"です。人間に限らず集団で社会生活や家庭生活を営む動物は、積極的に仲間と触れあい、親密の度合いを示すそうです。最初は自己防衛の為に使われていた皮膚感覚は社会生活を維持するための感覚としても発展していったのです。 

無意識に受け取る情報が心に影響を及ぼす
新しいシャツに袖を通して気持ちがシャキッとしたり、料理に使おうとしていた食材が傷んでいたのを知らずにつかんでしまった時の不快感など、モノに触れた時、何らかの感情が沸き起こるということを私達は日常的に経験しています。しかし、受け取っている皮膚からの情報が、無意識下で心に影響を与えていることもあるようなのです。
アメリカの行動経済学者ローレンス・ウィリアムズらは、実験で対象者にホットコーヒーかアイスコーヒーのいずれかを持って、存在しない架空の人物の特徴が記載された文章を読んでもらい、その人物の印象を訊ねました。するとホットコーヒーを持った方は人物の人格を"親切""寛容"と判断したそうです。さらに実験のお礼として「友人へのギフト」と「自分用の品」のどちらかを選んでもらうと、手を温めた人は前者を選ぶことが多かったといいます。その後の実験では、皮膚を温めることで人との対人距離が近くなる・人を信頼しやすくなるなどの結果も出ました。
そのほかにも「硬い」「柔らかい」や「ザラザラ」「ツルツル」などの手触りも知らず知らずのうちに心理的な影響を与えているということも分かってきています。

触覚が心理に与える影響を利用する
触れる事で安心感を得るなどゼロからプラスに働く作用もあれば、うまく利用するとマイナスからゼロに引き戻してくれる作用もあることが分かっています。
ミシガン大学の心理学者スパイク・リーは次のような実験を行いました。まず実験参加者全員に次の物語を読んでもらいました。 
「あなたは法律事務所で同僚と能力を競い合っています。あなたは同僚が失くしたとても大事な資料を発見したとします。あなたがその資料を同僚に返した場合、それは同僚の活動に大きく貢献しますが、逆にあなたの行動に傷をつけます。」
ここで参加者を2つのグループに分け、同僚に「書類は見つからなかった(不道徳な行為)」と、「書類が見つかった(道徳的行為)」とそれぞれ伝える群に分けて、さらに伝える際に口頭で伝える群と、手で文章を打ってメールで伝える群とに分けました。
それを伝えた後、「口内洗浄剤」や「手の除菌ローション」を使いたいという欲求を測定した結果、不道徳なメッセージを「口で」伝えた被験者は、「口内洗浄剤」への欲求が高まり、それを「手で」伝えた人は「手の除菌ローション」への欲求が高まったのです。一方、道徳的なメッセージを伝えた参加者はそのような傾向はみられませんでした。
人は不道徳な行為をすると、罪を犯した体の部分をキレイにしたいという潜在的な欲求がかきたてられるのがわかります。その後の研究で、これは特に道徳的な純粋さに限られた話ではなく一般的に感じる嫌悪感(仕事の失敗や失恋など)についても同じことが言えることが分かっています。
一日の終わりにお風呂で全身を洗うことはそのような意味でもリフレッシュ効果があると言えます。また、神社でも参拝する際は柄杓で手を洗い、口をゆすぎます。嫌悪感を払ってまっさらな心持ちで前向きに願掛けするというのは、先人が培った理にかなった行為なのかもしれません。

おわりに
触覚は感覚器として非常に広範囲に外部から情報を受け取ります。受け取る情報の中には無意識からのものも多く含まれており、それは心に影響して無自覚的にストレスをためてしまっているかもしれません。
一方で皮膚への刺激を利用した治療の最たるものの一つとして鍼灸があります。現代社会で不足している触覚刺激を補うツールとして、鍼灸治療を利用されることをお薦めします。

引用文献
・岩堀修明:図解 感覚器の進化.講談社:2011
・山口創著:手の治癒力.草思社.2012
・山口創著:からだの無意識の治癒力.さくら舎:2019